国会質問

2015年03月05日

被爆者認定の抜本的見直し、「黒い雨」地域の拡大を(予算委員会)

大平委員 日本共産党の大平喜信です。

 比例中国ブロックの選出で、広島の出身です。平和を願う広島の心を国会へ、このスローガンで活動してまいります。

 ことしは被爆七十年という節目の年です。七十年前、二発の原子爆弾によって二十数万人の方の命が奪われるとともに、生き残った方たちは、さまざまな健康photo-10被害や差別に苦しみ続けながら、懸命に生きてこられました。

 今被爆者の平均年齢は八十歳になろうとしており、被爆者援護事業の改善は時間との戦いとなっています。その一つに、被爆者手帳を持ち、さまざまな病気で苦しんでいるにもかかわらず原爆症と認められない、原爆症認定制度の問題があります。

 三百名を超える被爆者の方たちが国の審査には納得がいかないと闘った原爆症認定集団訴訟では、九割以上の原告の方が勝訴となりました。そうした司法判断を受けて、厚生労働省は審査基準の変更を行い、二〇〇九年には、当時の麻生総理大臣と被爆者団体との間で、集団訴訟の終結に関する確認書、これを取り交わし、同日、当時の河村官房長官が記者発表を行っています。そこでは次のように述べています。

 十九度にわたって国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としては、これを厳粛に受けとめ、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみに思いをいたして、これを陳謝する、政府としては、現在待っておられる被爆者の方々が一人でも多く迅速に認定されるよう努力すると述べています。

 官房長官に確認ですが、この内容と精神はそのまま今の安倍政権にも引き継がれているということでよろしいでしょうか。

菅国務大臣 原爆症認定に関する当時の姿勢については、現政権でも変わるところはなく引き継いでおります。

大平委員 官房長官、ありがとうございました。御退席いただいて結構です。

 政府との確認書を交わし、この陳謝も受けて、これで被爆者は納得のいく審査基準になると期待をしていましたが、今なお抜本的な解決には結びついていません。

 資料に、厚労省の数字をもとに、過去十年の原爆症の処分件数と認定却下件数をグラフにしたものをお配りいたしました。

 二〇一〇年には、六千四百三十五件のうち五千件、七七・七%が却下、二〇一一年には、三千九百八十一件のうち千九百三十七件、四八・七%が却下され、その後、若干割合が減っているとはいえ、二〇〇九年以降も依然多くの方が却下されています。そして、確認書でももう争わないと決めたはずなのに、再び被爆者の皆さんはやむにやまれず訴訟を起こすことになりました。

 塩崎大臣の御認識をお伺いしますが、被爆から七十年もたち、平均年齢八十歳にもなろうとしているにもかかわらず、なぜ被爆者の皆さんは今でも原爆症の申請をし、却下されれば訴訟まで行っているんだと思われますか。

塩崎国務大臣 先生御指摘のように、ことしは被爆七十年、そしてまた、こういった方々が八十歳を超えるということは厳然とした事実だということは厳粛に認めなければいけないと思います。

 今申し上げたように被爆者が高齢化していることを踏まえて、原爆症の審査について、今お話がありましたが、平成二十年にこの認定の基準でございます審査の方針を定めて以来、甲状腺機能低下症などの非がん疾病の病名を追加し、その拡大を行ってまいりました。

 これによって、認定対象者の範囲は拡大をしておりまして、却下割合、今、図示をしていただきましたけれども、平成二十二年に七八%であったものが、平成二十五年度には三七%まで低下をしているということでございます。

 さらに、一昨年十二月には、非がん疾病についての審査の方針の拡大も図ったところでございまして、その結果、昨年の非がん疾病の認定数は百六十九件と、前年の二十七件から約六・三倍へと大幅にふえているわけでございまして、認定状況は大きく改善を見ているというふうに考えているわけでございます。

 いずれにしても、厚生労働省としては、高齢化をしていらっしゃる被爆者の皆様方に対して、一日も早く新しい審査の方針に基づいて認定がなされるように、原爆症の認定審査に鋭意取り組んでまいりたいというふうに考えているところでございます。

大平委員 なぜ、平均年齢八十歳になろうとしているにもかかわらず被爆者は訴えるのか。それは、被爆者が、体が悪くて思うように働けない、怠け者と思われてつらい、そうした原因が、自分の責任ではなく、さかのぼれば被爆したことにある、このことを国に認めてほしいからです。そのことをわかってほしいと切実に願っているわけです。

 そして、前回の集団訴訟に続いて今度の訴訟でも、原告の皆さんが連続して勝訴を重ねています。一月三十日には、大阪地裁の判決が出ました。厚労省の新しい基準のもとで申請を却下された四人の方が原爆症と認められました。

 先ほど大臣は、非がん疾病が改善に向かっている、認定件数が六・三倍にふえたとおっしゃいましたが、それは、その前年の認定件数がわずか二十七件だったから六・三倍にふえた。そして、百六十九件が認定されているというその一方で、二〇一四年の非がん疾病申請件数は五百七十件ですから、依然多くの方が認定されていないではありませんか。決して改善とは言えません。

 そして、大阪は何より、大阪地裁で勝訴した原告の方たちの疾病は、甲状腺機能低下症という、まさに非がん疾病でした。それが厚労省に却下された方々だったわけです。大阪地裁の判決では、現在の厚労省の基準について、地理的範囲や線量評価において過小評価の疑いがあると指摘をし、あくまで一応の目安にとどめるのが相当だと述べて、四人の却下処分を取り消すように命じているんです。

 五月二十日には広島地裁の判決も予定されていますが、私はその原告の一人の女性に直接お話を伺いました。

 その方は、生後十一カ月のときに爆心地から二・四キロの地点で被爆をし、小さなころから現在まで、白血球増加、脳動脈瘤など、さまざまな病気にかかり、苦しみ続けてきました。今から七年前に白内障で原爆症認定訴訟の原告に加わり、訴えを行っていますが、放射線白内障は爆心地から一・五キロ以内にいた者に限るという厚生労働省の基準に縛られて、いまだに認められずにいます。

 その方は、国は解決を引き延ばし、高齢となった被爆者が死に絶えるのを待っているのではないでしょうかとおっしゃっていました。

 大臣、被爆者は、もう少し待てと言われても、待てません。被爆から七十年がたち、いまだに裁判に訴えないと認められないという現状は、余りにも冷たいのではないでしょうか。いかがでしょうか。

塩崎国務大臣 原爆認定制度の見直しにつきましては、三年間にわたる原爆症認定制度の在り方に関する検討会におきまして、抜本的改革が必要だという考え方と、現行制度のもとで見直しを行うという考え方の両方の観点から検討が行われてまいりました。

 この検討の中で、放射線の被曝の状況にかかわらず一律に支給をいたします手当を創設するなど、原爆症認定制度を抜本的に見直すべきとの指摘に関しては、他の戦争被害との関係をどう考えるのか、そして制度設計上の難しさをどう考えるのかなどの理由から、なかなかこれは容易ではないというような判断が示されたというふうに考えております。

 この検討会での結果を踏まえて、先ほど申し上げたように、現行の認定基準については、非がん疾病に関して拡大を図り、そしてまた、今申し上げたような認定実績そのものは増加をしているということでありまして、厚労省としては、現行の被爆者援護法のもとで、できる限りの対応を行うことが重要だというふうに考えて、被爆者の皆様方が高齢化をしていることなども踏まえつつ、できる限り多くの被爆者の方々に対して迅速に認定を行えるように努めてまいりたいと考えているところでございます。

大平委員 厚労省が新しい審査基準にしてもなお、司法判断と行政認定の大きな乖離が埋まらないわけです。高齢になった被爆者の皆さんに本当に寄り添って、七十年という節目の年でこの問題の決着がつけられるように、重ねて認定制度の抜本的見直しを求めたいと思います。

 一方で、被爆しているにもかかわらず、被爆者として認められず、被爆者手帳すら持つことができない黒い雨の問題があります。

 黒い雨とは、原爆投下後に放射性物質とすすなどがまじって降った黒い色の雨のことですが、政府は、一九七六年に黒い雨の大雨地域と言われる範囲を健康診断特例区域に指定し、その区域にいた方は無料で健康診断が受けられ、そこで指定された病気と診断されれば被爆者手帳が交付されるという制度をつくりました。

 しかし、この地域指定に対して、降雨図は正確でないと不満の声が上がり、そうした声も受けて、広島市と県は実態調査を行ってきました。

 三度目となる二〇〇八年から行った調査では、約二万七千人からアンケートを集め、そのうち九百人の方からは一人一人個別面談も行いました。その調査結果として、黒い雨の降雨地域は従来言われていた範囲よりも広い、未指定地域で黒い雨を体験した者は心身健康面が被爆者に匹敵するほど不良であり、放射線による健康不安がその重要な要因の一つであると結論づけました。

 そして、広島県と県内三市五町の首長が連名で、二〇一〇年七月に、国に対して、黒い雨指定地域の拡大を求める要望書を提出しました。

 資料の二枚目につけたのは、広島市とその周辺地図ですけれども、一番内側の点線の楕円形が七六年に国が確定した大雨地域、現在の健康診断特例区域です。その次の長い点線が小雨地域と呼ばれる雨域。そして、一番外側の実線が、広島市と県が行った調査で黒い雨が降ったと結論づけた、現在の指定地域の約六倍の新降雨域です。

 大変な御苦労をされて調べられたこの広島市と県の調査とその結果は、私は、生の声を聞き取った大変貴重で重いものだと思います。塩崎大臣、厚生労働省は、この調査結果とそれに基づく地域指定の要望に対して、どういう検討を行ったのでしょうか。

塩崎国務大臣 原子爆弾の被爆者援護法に基づく被爆地域の指定、これに当たりましては、科学的、合理的な根拠が必要でございますので、御指摘の広島市等からの要望を受けまして、平成二十二年、二〇一〇年に、厚生労働省におきまして、放射線の健康影響等に関する専門家から構成をされます検討会、「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会という検討会を設置いたしまして、広島市などからの実態調査の結果を科学的に検証させていただきました。

 その結果でございますけれども、平成二十四年七月の検討会の報告におきまして、まず、拡大要望がございました地域においては、広島原爆由来の放射性降下物は確認をされておらず、当該地域におきまして、健康影響の観点から問題となる放射線被曝があったとは考えられない、そして、黒い雨を体験した方におけます精神的健康状態の悪化は、放射線被曝を直接の原因とするものではなく、黒い雨によります放射線被曝への不安や心配を原因としている可能性があるというふうにされておりまして、被爆地域の拡大を行う科学的、合理的な根拠は得られないというふうに判断をされたところでございます。

 他方で、報告書においては、黒い雨を体験したと訴えられる方々に対して、不安軽減のための相談などの取り組みが有用であるという可能性も指摘をされておりまして、これを踏まえて、平成二十五年度より、広島市、広島県の御協力をいただいて、黒い雨体験者に対しまして個別面談を通じた健康上の相談等を行う相談支援事業を実施してまいっているところでございまして、厚生労働省としては、今後とも、このような事業を通じて、黒い雨を体験された方の御不安や御心配の軽減に努めてまいりたいというふうに思っているところでございます。

大平委員 大雨地域については、被爆者援護法の中でも明確に、「放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」としているのに、この地図にもあります一本のきれいな楕円形の線を境界にしてその外は存在しないというのは、余りにも非科学的であり、全く納得のいくものではありません。

 私は、この間、広島市佐伯区の五日市や湯来町を訪ね、現在の指定区域の外で黒い雨を浴びたという方々からお話を伺いました。

 当時四歳だったある女性は、真っ黒い空を見上げていると、雨が降り出し、雨粒が口の中に入り込んだ、五歳のころから下痢や発熱、嘔吐を繰り返し、その後も、胃けいれん、肝炎、高血圧、不整脈、心臓肥大、白内障など、病気し続けの人生、私がうそを言っているとでも言うのかとおっしゃっていました。

 また、別の方は、八月六日当日、みんなで集団下校をし、みんなが雨を浴びた、それなのに、この川一本を隔てて、あっちとこっちで降った、降っていないとされるのは全く納得がいかないとお話しされていました。

 大臣、この方たちがうそを言っていると言うのですか。この方たちを前に、あなたたちは黒い雨に遭っていませんよ、気持ちの問題ですよと言えますか。いかがでしょうか。

塩崎国務大臣 現在の広島の健康診断特例区域というのは、同区域の一部において放射能が検出された例の報告などを踏まえて、昭和五十一年に、気象関係の広島原子爆弾被爆調査報告、いわゆる宇田博士によります昭和二十八年の報告書がございますけれども、この調査に基づいて指定されたものでございます。

 健康診断特例区域に指定されていない地域、つまり当該地域の外側の周辺地域につきましては、昭和五十一年及び昭和五十三年に行われました残留放射能に関する調査において、特にこの地域において原爆からの核生成物が残留しているとは言えないとされていることに加えて、平成二十二年に広島市等の要望を受けて設置した先ほどの検討会におきまして、近年行われた残留放射能に関するさまざまな調査を改めて検討した結果として、広島原爆由来の放射性降下物が存在したとする明確な痕跡は見出せないとされてきたことから、放射能の影響があった地域として指定をしていないところであるわけでございます。

大平委員 この問題でも、原爆症認定集団訴訟の判決は明確なんです。

 二〇〇六年八月の広島地裁では、その判決で、少なくとも、増田雨域、これは増田善信さんという気象学者が発表した、宇田雨域の四倍の地域を示した降雨地域ですが、増田雨域で雨が降ったとされる範囲について、雨が放射性降下物を含んでおり、その雨にぬれた者が放射性降下物による被曝を受けた可能性は高いと述べていますし、二〇〇七年七月の熊本地裁でも、放射性降下物は、少なくとも爆心地から増田雨域周辺に至る範囲で相当量降下した、こうした判決が下されるなど、繰り返し、大雨地域の外でも放射性物質が降ったことを認めています。

 先ほど大臣は厚労省の検討会が科学的検証をしたとおっしゃられましたけれども、こうした判決や研究者の知見、何より被害者の証言にきちんと向き合って審議、科学的検証をしたのでしょうか。検討会の構成員の中には、御紹介した増田さんなど、問題の科学的検討に欠かせないはずの物理学者も気象学者もいませんでした。大臣、この政府の姿勢こそ、そして今の線引きこそ、科学的、合理的根拠がないではありませんか。いかがでしょうか。

塩崎国務大臣 平成二十二年に広島市などの要望を受けて設置をいたしました先ほどの検討会は、放射能の健康影響等に関する専門家によって構成をされております。こうした専門家による知見に加えて、黒い雨地域の線量推計を行った物理学者からのヒアリングや、広島市が行った黒い雨に関します住民アンケート、この住民アンケートをもとに黒い雨の降雨地域の時間変化の推計を行った研究者などからのヒアリングを行うなど、多角的な検討を行ったものだと思っております。

 さらに、検討会のもとに、広島や長崎の疫学や放射線の専門家を含めたワーキンググループを設置いたしまして、黒い雨の降雨時間の地理分布等について掘り下げた検討を行ったところでございます。

 今申し上げた検討会、これ自体は合計で九回開催をされました。そして、今申し上げたこの検討会のもとに、専門家によって、疫学や放射線の専門家によるワーキンググループ、この会合も四回開催をいたしまして、議論を深めていただいたところでございます。

 このように、さまざまな研究者の知見を集める努力をしてまいっておりまして、その結果として、要望地域における放射線の健康影響に関して科学的な検証が行われたものというふうに考えているところでございます。

○大平委員 厚労省の検討会の議事録を私も読みました。ある委員の方から、こうした発言がありました。こういう赤字国債の条件下でいわゆるバブルのころまでのようにばんばん何でも認めて、健康局の予算の半分ぐらいは原爆の問題だということを初めて聞いてびっくりした、こういうことを踏まえながら検討を続けて、因果関係を学術的にきっちり決めていく必要があると。

 私は唖然としました。ここに本音が出ているんじゃないでしょうか。つまり、財政が大変で、これ以上ふやせられないというのが頭にあって、そのことを踏まえて検討すると。到底、科学的検討とは言えません。今も苦しみ、一日も早い地域拡大を望んで調査に協力をした人たち、関係者の努力を踏みにじる姿勢であり、断じて許せません。

 毎年八月六日の平和記念式典で行われる平和宣言でも毎回黒い雨の指定地域の拡大を求めており、この問題は党派も地域も超えたオール広島の声です。つまり、体験者の実態も、司法判断も、広島市民、県民の思いも全てが黒い雨の指定地域の拡大を求めており、それに目を向けようともせず、ひたすら反対しているのは政府だけです。再検討されることを含めて、この問題でも七十年の節目の年に何としても解決するよう重ねて求めて、最後の問題に移ります。

 被爆七十年における、日本政府の核兵器廃絶に向けた姿勢について伺います。

 ことしは五年ぶりの核不拡散条約再検討会議が開催される年で、開催まで二カ月を切りました。

 日本は、被爆国として、また憲法九条を持つ国として、国際社会の中で核兵器廃絶に向けた具体的行動の先頭に立つことが求められています。しかし、国連加盟国の三分の二を超える賛成で採択されている核兵器禁止条約の国際交渉開始を求める国連総会決議に対して、日本政府は一貫して棄権するという恥ずかしい態度をとり続けています。

 こうした中、昨年十二月には、第三回核兵器の人道的影響に関する会議において、日本の佐野利男軍縮代表部大使は、核兵器の爆発時には対応できないほどの悲惨な結果を招くとの見方について、悲観的過ぎる、少し前向きに見てほしいと発言しました。

 岸田外務大臣にお尋ねしますが、私は被爆国の大使として絶対に許されない発言だと思いますが、大臣の御認識を伺います。

岸田国務大臣 まず、核兵器の使用は、国際法の思想的基盤であります人道主義の精神に合致しないと認識をいたします。そして、我が国は、唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界を目指さなければなりません。

 ただ、核兵器のない世界というのは、核兵器国と非核兵器国が、ともに努力をし、そして協力をすることなくして実現することはありません。こうした考えに基づいて、現実的かつ実践的な取り組みを着実に積み重ねていくことこそ、遠回りのようで、実は核兵器のない世界に向けた近道であるという認識に立って、我が国は軍縮・不拡散の問題に取り組んでいます。

 こうした観点から、いわゆる核兵器禁止条約の交渉を即時に開始する、こうした決議については我が国として棄権を行っているわけですが、今御指摘のありました佐野大使の発言につきましては、まず、我が国としまして、核兵器は二度と使用されてはならない、これが基本的な考え方です。この考え方との比較において、佐野大使の発言、これは、誤解を生じたということはまことに遺憾なことであり、発言に万全を期すよう注意を行いました。

 発言に万全を期す、そして、我が国として被爆七十年という大切な年にあって、改めて我が国の取り組み、立場をしっかり確認し、今後のさまざまな会議に臨んでいかなければならないと考えています。

 御指摘のように、四月には五年ぶりにNPT運用検討会議が開催されます。そして、先月ですが、CTBTの発効促進会議の共同議長として我が国は指名をされました。八月には広島で、国連軍縮会議あるいはCTBT賢人会議も開催されます。十一月には長崎でパグウォッシュ会議が予定されています。こういった会議において、改めて我が国の立場をしっかり明らかにしなければならないと思いますし、NPT運用検討会議においても、NPDIの枠組みで十八本の基本文書を我が国として提出しています。

 ぜひこの貢献等を通じて、具体的な、現実的な結果を出せるように、我が国としてしっかり臨んでいきたいと考えております。

大島委員長 時間がそろそろ来ておりますので、短目に。

大平委員 はい。

 この佐野大使の発言に対し、国内外から批判が集中しています。そして、日本政府は依然、アメリカの核の傘のもとで、その使用を言及する発言すら飛び出していることに、国民の大きな不安と怒りが広がっています。

 原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許しません。人間として認めることのできない、絶対悪の兵器です。再び被爆者をつくらぬという声は、被爆者の命をかけた訴えであり、日本国民と世界の人々の願い。

 日本共産党は、被爆者の皆さん、市民の皆さんと力を合わせて、被爆七十年のことしを核兵器廃絶に向けて決定的な転機の年とするためにあらゆる努力を尽くす決意を表明して、質問を終わります。