国民主権に反する教育勅語が教育で使えないのは明らか(6月8日憲法審査会)
衆議院会議録情報 第193回国会 憲法審査会 第8号
○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
明治憲法での絶対主義的天皇制のもとで、人権が抑圧され、侵略戦争へと突き進んだ反省から、日本国憲法は、前文とあわせて、第一章一条に国民主権を明記しています。
私は、この国民主権との関係で、教育勅語の問題について意見を述べます。
教育勅語は、天皇主権体制を根拠づけるものとして、天皇の家来である臣民が従うべき道徳律を説いています。そして、その内容の一つ一つが、天皇を中心とし、天皇に絶対随順する道であるとされました。
戦前の教育では、この教育勅語を修身処世の大もととし、その奉読などが強制され、天皇のために命を投げ出すという思想がたたき込まれました。こうして、教育勅語は侵略戦争推進のてことされたのです。
したがって、ポツダム宣言の受諾と日本国憲法の制定によって、軍国主義を駆逐し、民主主義と国民主権が確立されたもとで、臣民への命令としての戦争遂行のために用いられた教育勅語が排除されるべきであったことは当然のことでした。
しかし、安倍政権のもとで、この国民主権に反する教育勅語を肯定する動きがあることは重大です。安倍政権は、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」などとする閣議決定を行い、稲田防衛大臣や菅官房長官は、教育勅語には今日でも通用する内容があるかのような発言をしました。さらに、義家文科副大臣は、朝礼での教育勅語の朗読も問題ないと答弁したのであります。
私が指摘をしたいのは、こうした教育勅語の使用は戦後の国会での議論で何度も否定されてきたということです。
一九四八年六月十九日、衆議院は教育勅語の排除に関する決議を、参議院は教育勅語等の失効確認に関する決議を採択しました。これにより、主権在君を根本理念とする教育勅語は、日本国憲法に反するものとして、教育から完全に排除することを宣言したのです。
重要なことは、なぜ衆参両院でこのような決議が行われたのかということです。
その背景にあるのは、戦後の文部大臣が、教育勅語は人間としての行く道をお示しになっている、教育勅語と教育基本法の間には矛盾と称すべきものはないと国会で答弁するなど、教育勅語の内容はいまだに有効であるかのような態度をとっていたということです。そして、そのもとで、学校教育においても教育勅語の朗読などその使用が続けられたのです。
だからこそ、衆議院の本会議で、決議の提案者が趣旨弁明において、教育勅語の部分的内容についても、「勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができない」と述べたのであります。そして、この決議に対し、森戸辰男文部大臣も、「教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らか」と発言したのです。
このことは、戦後幾度も確認をされてきました。例えば、一九八三年に、ある私立高校が生徒に教育勅語を朗読させていたことが国会で問題となった際、当時の瀬戸山三男文部大臣は、「教育勅語を朗読しないこと、学校教育において使わないこと、また衆参両議院でもそういう趣旨のことを決議されております。でありますから、そういうことで今日まで指導してきておるわけでございます」「率直に言って遺憾なことであると思っております。」と述べ、県を通じて中止を指導したのであります。
この過程を見れば、教育勅語は、侵略戦争を否定し、国民主権と民主主義を掲げた日本国憲法に反しており、どのような形であっても教育の中で使うことはできないということは明白であります。内容はよいという発言や、ましてや朗読も問題ないなど、到底認められるはずがありません。
安倍政権が教育勅語を肯定しようとするのは、自民党改憲草案が天皇を元首としているように、国民主権を制限しようとする姿勢のあらわれだと言わなければなりません。
さらに、九条改憲発言に見られるように、日本を戦争できる国へとつくりかえようとするものにほかならないということを指摘して、私の発言を終わります。