エッセイ

2024年06月05日

赤旗日刊紙西日本のページ6月5日付「水曜随想」=能登の願いに応えねば=

「2階にいた私は下に降りられず、息子から電話で『津波が来るからそのまま2階におれ! そのほうが安全だ』と言われたので2階にいた。でも今度は火災が発生。再び息子から電話で『火事だ! 家から出て逃げろ』と言われ、2階の窓から布団にくるまりながら転がるようになんとか外へ飛び出し避難した」「酒屋を営んでいたがお店はもちろん、2つあった酒蔵も、台帳からお客様の名簿まで何から何まですべて燃えてしまった。もう私たちには何も残っていない…」。

地震発生から5カ月がたつ能登半島へ広島の仲間とともにかけつけました。この声は、震度7の地震と大規模火災が襲った輪島市の朝市通りで暮らし、今は仮設住宅に住んでおられる方から寄せられたものです。お二人とも高齢の女性で、当時の壮絶な様子や今のお気持ちなど伺い、涙なしには聞けませんでした。

実際に朝市通りを歩いてみると、5カ月たってもまだ焼け焦げた家屋やがれきがそのままの状態。人の姿はほとんどなく静まりかえる中で雨音と鳥の鳴き声だけが響きわたっていました。報道で見てはいたものの、現地に行きあらためて住まい・生業・地域の再建があまりにも進んでいない状況に言葉を失い、また憤りを感じました。

仮設住宅を一軒一軒、お米やお水などをお渡ししながら声をかけてまわりました。「公費解体を申請したがかなりの順番待ち。これからのことがまったく考えられない」と話す女性、「家族4人でこの間取りはしんどい」と家の中にあげてくれ、押入もなく布団はひいたまま、洗濯機が頭のすぐそばで動く中、横にならねばならない部屋の様子を伝えられる方も。多くのストレスを抱え、また仮設住宅に移った段階で行政の食料支援が打ち切られたとのことで、災害関連死も大変心配されます。その上、先日は再びの地震もありました。

「それでもここで暮らしたい」と話す能登の皆さん。政治は、私たちはこの願いになんとしてもこたえなければなりません。