「核兵器は人間らしく葬られることも許さない」―重い言葉に応えて
月、火、水と国会での仕事を終え、島根県へ飛びました。
松江市にお住まいの85歳で広島出身の西尾幸子さんから、原爆投下の当時のようすについてのお話を聞きました。
「亡くなった同級生のお母さんから『なんであなたは生きているんだ』と胸ぐらをつかまれて言われたのが本当につらかった」
「15年戦争を青春真っただ中で過ごし、最後に最悪の兵器の実験に使われた。本当に許せない」
「平和とは何か。白いごはんが食べられること、美しい音楽が聴けること。その都度申し訳ない思いがよみがえる」
「原爆は人間らしく生きることも死ぬことも、人間らしく葬られることさえも許さなかった。二度と繰り返させてはならない」
「秘密保護法や共謀罪などあの時代を再来させるようだ。憲法だけは守らなければ。命をかけてがんばりたい」
一言一言が本当に重く、つきつけられました。
西尾さんたちのこうしたとりくみが、核兵器禁止条約をつくる大きな力になったということもあらためて痛感。
西尾さんからも「ヒロシマから共産党の国会議員がどうしてもでてほしかった。本当にうれしい」とおっしゃっていただきました。
なんとしてもその思いにこたえて、核兵器の完全廃絶に向けて力を尽くす決意です。
明日から隠岐の島に渡り、懇談、調査、街頭宣伝、つどいと盛りだくさんのとりくみをおこないます。