岩佐幹三の思いに心を寄せて 核兵器禁止条約の発効に全力
被爆者で日本被団協の元代表委員、岩佐幹三さんが7日、膵臓がんで死去。91歳。つい先日の高知の青年たちのつどいで岩佐さんの被爆体験を紹介したばかりだった。お母さんが爆風で崩れた自宅の下敷きになり、生きたまま焼き殺された体験。2003年に行った原爆症認定訴訟の岩佐さんの陳述は忘れられない。「母は人間として死んだのではなく、原爆によってモノのように焼かれ、殺されたのです。16歳の少年が自分が見捨てて逃げた母親の遺体を自分の手で焼いたのです。どんな思いだったか、おわかりいただけるでしょうか」――岩佐さんの陳述。日本政府の恥ずべき姿勢にどれほどの憤りを感じていただろうか。岩佐さんが生きているうちにせめて核兵器禁止条約の発効を実現したかった。悔しさをかみしめながら「一日も早く」との思いで今日の広島の6・9行動に参加。その足で広島市被爆2世の会副会長の池田節夫さんとの懇談も。2世の健康診断と医療費助成を国の責任で実施するよう要望が寄せられた。