「黒い雨」訴訟、全面勝訴バンザイ (赤旗しんぶん西日本版 8月5日水曜随想)
「『黒い雨』訴訟、全面勝訴、バンザイ!」――会場のあちこちで涙と笑顔が交錯する中、報告集会の最後に、原告、弁護団、支援者の皆さんとともに私も喜びを爆発させました。7月29日、広島地裁は原告ら全員を被爆者と認め被爆者健康手帳の交付を命じるとともに、国の降雨地域の不当な線引きを断罪し転換を求める判決を出しました。
振り返れば2015年3月5日、私にとって国会初質問の衆議院予算委員会で取り上げたのは、他でもないこの「黒い雨」問題でした。被爆者の証言や広島県・市が行った実態調査などを示しながら降雨地域指定の拡大を求めたのに対し、当時の塩崎厚生労働大臣は、「(黒い雨体験者の)健康状態の悪化は、放射線被曝を直接の原因とするものではなく、黒い雨によります放射線被曝への不安や心配を原因としている」と答弁。つまり〝病気は思い込み、気持ちの問題〟だと言い放ったのです。怒りを感じつつもそれに対して間髪入れず追及ができなかった自身の力量不足も含めて、本当に悔しい思いをしたところから私の国会議員活動はスタートしました。
この年の11月に訴訟が始まりましたが、約5年間の裁判闘争はその間にも16人の原告が亡くなられるなど、文字通り原告らの命がけのたたかいでした。そのお一人、原告団副団長だった松本正行さん。最後にじっくりとご一緒したのは昨年の11月26日でした。松本さんの住む加計町に伺い、降雨地域の不当な線引きの現場をあらためて案内していただきました。94歳の松本さんがハンドマイクで「皆さん、今日は黒い雨の問題を国会でも取り上げてきた前衆議院議員の大平さんが来ております」と力強く紹介をしてくださり一緒に街頭宣伝も。別れ際には「大平さん、裁判で勝って、絶対に国の政治も変えるんじゃけんのう! 期待しとるで!」と満面の笑みで背中を叩かれました。3月の葬儀の際にも、そして今日また再び誓います――松本さん、あの時の約束、必ず果たしますからね。見守っててくださいね。